新卒入社5年目の一大決心! 武者修行のため修復師の本場イタリアへ。
私は長野県佐久市の出身です。中学校卒業後に実家から離れた高校に進学し、その後は東京の短期大学へ進学しました。長野県は首都東京が近いので、東京に進学・就職する人は多いのですが、私もそのひとりでした。国際交流に興味があり、短大では英語を中心とした語学を専攻していました。
卒業後の就職先に選んだのは教育情報産業で、学生に向けて就職・進学・留学などの進路指導を行っていました。「社会人とは……」から始まり、ビジネスの基本を学べたことがありがたかったです。実は、高校時代から修復師を夢見ていて、日本の美術大学で学びたいと思っていました。しかし、経済的に厳しかったので、一度就職し、自分でお金を貯めてから進学しようと考えていました。入社3年目には、自分なりに満足できる営業実績を収められるようになったこともあり、「工芸修復の発祥の地であるフィレンツェで学びたい」という夢に向かうことにしました。こつこつと資金を貯め、入社5年という区切りを迎えた。
イタリア語習得とビザの関係で、まずは語学学校へ入学しました。当初は、ある程度イタリア語ができるようになったら修復工房に弟子入りして技術習得することが目標でしたが、イタリアでは美術品や工芸品に関する学問が確立されており、たくさんの学校があります。現地で知り合った人々のアドバイスやサポートをいただきながら、入国して半年後に美術学校への入学を目指して受験勉強を開始。絵画修復の先生のもとで勉強を重ね、入国から約1年後、まずは公立の美術学校を受験しました。入学試験は3次試験までありました。デザイン模写の1次試験は通過したのですが、2次試験で落ちてしまい、人気の公立学校へは入学できず……。私立の美術学校へ入学し、木工修復コースを専攻しました。
学校に通うには、経済的なことも課題になります。レストランやおみやげ屋、通訳などをして少しですが収入を確保しつつ、在学期間の3年間、みっちり勉強しました。3年目は大半が現場実習です。卒業後は、実習に通っていた工房でそのまま就労を続け、美術修復も体験させていただきました。日本ではとても触らせてもらえないような作品も手がけられるイタリアの風土のおかげで、貴重な体験ができたことに感謝しています。卒業後もしばらくそのような生活を続けていましたが、滞在許可証の手続きやプライベートの関係で、5年間のイタリア生活をいったん終え、帰国しました。